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おじいちゃんの話

私にはすでに祖父はいません。父方の祖父は父が幼いころ亡くなり、母方の祖父も私が中学に上がる直前で亡くなりました。

ですので彼らのお話をば。

父方の方は仏壇の遺影しか見たことがありません。やや気難しそうなそれでいて精悍な男前の面立ち。母や母方の祖母に聞いた話ですが、実は父は祖父を快く思っておらずずっとお墓参りをしていなかったそうです。それを見かねた母方の祖父母が諌めると、「散々好き勝手して死にやがったんだ、その後どんだけ大変だったかも知らないくせに」と泣きながら言ったそうです。私はなにがあったのか知りませんが、あれだけ屈折した人間になるくらいは辛い思いをしたんだと思います。でも、と祖父が一喝。「小さい末っ子残して死んでいくのに心配しないわけないだろ!墓参りして元気な姿見せんかアホが!!」

じーちゃんぱねえっす笑私にはいつもニコニコして優しかったんですけどねえ。

それから父はお盆と機会があったら彼岸にお墓参りするようになり、霊園に行くたびに「あ!あの看板霊園って書いてある。左って!」「いやあれ次の信号曲がれって書いてある!」「置くなよそんなとこ紛らわしい!」と大騒動するはめになるんですが。

母方の祖父ですが、もとは漁師だか百姓だかをやってる人でした。いや、海仕事があれば行ってなければなんかして畑もやって...という感じ。

私はいとこの中で一番下なので、連れて行ってもらったことが無いのですが(小さかったので危ない)よくいとこと釣りをしていたそうです。準備は家でするので赤虫が平気な子になりました。生物の唾液腺観察の時阿鼻叫喚でしたがなーんもなかったです。私が覚えているのは祖父と兄とでとジャガイモや玉ねぎ、長ネギなどを収穫したことです。蒸かした新じゃがはほくほくで美味しかったし、それらで作ったシチューはコショウとかいらないくらい野菜が甘かったです。

私が小5の時に腰を痛め入院して肝臓も悪いからと入院続行。それでおじいちゃんは緩やかに衰えていきました。見るのも辛くてよく病室から逃げていました。

今思えば、祖父は初めての私の身近で死が近づきつつあって、死というものが具体的にイメージされていたからだと思います。

祖父が亡くなり、葬式が行われたとき、兄と父は泣きじゃくっていました。兄はとてもじいちゃんっ子でしたし、父にとっては初めてできた「おとうさん」だからでしょう。でも私は泣きませんでした。そりゃあ家に帰って祖父が亡くなったと聞いたときは泣きましたとも。斎場では、きっと自分より大きくてきちんとしている兄と父が泣いているのに驚いた気持ちの方が強かったんだと思います。

このとき、就職していたおにいちゃんたちも集まってきたのですが、一番上のお兄ちゃんはいつもゲームしていて無口だと思っていたのですが、孫代表でしっかりとおじいちゃんに最後のあいさつをしていました。思えばあの時のお兄ちゃんと今の私は3つしか違わないんですね。立派だ。

 

最後に温和なじいちゃんが豹変する話。

祖父は本当にニコニコしていた記憶しかないです。怒られたこともないし。

でも、車に乗ると人が変わりました。母曰く「暴走族爺」。私車酔いがひどいので母が乗るなというくらい。一度だけ乗りましたが、いやー、命があってよかったね笑

 

そんなじいちゃんズに。末の孫はもう成人しました。これからあなたたちが繋いだ命をその限りまで精いっぱい生きようと思います。とりあえず今年のお盆お墓参り行けなくてごめんなさい。

ちゃんと行くからね。

 

精いっぱい生きるということを教えてくれた人たちに感謝を。