言葉で定義したくないもの

 

友達。

素敵な言葉だと思います。優しい言葉だとも思います。でも何かしっくり来ないんです。

小学生の頃、仲のいいグループがありました。傍から見ててもいつも一緒にいるなあ仲いいんだなと思ってました。でも何があったのか、一か月後にはあの子とは話したくないし顔も見たくないと一人だけはぶられていたのです。卒アルの文集にも「真友」だの「心友」だの書いていたのにです。

それを冷ややかに見ていた私は、もうこの言葉が恐ろしいものに見えてきてしまって自分では使わないようにしています。便宜上、母に誰と旅行に行くのか聞かれたときに「友達と行ってくる」とは言いますが。

 

私には幼馴染がいます。小1からつるんでる近所の子です。もう単語で話しても意思疎通ができるくらいのレベルです。でも彼女のことを親友だとかは思えません。

 

思うに、フォルダわけが本当に雑なんだと思います。普通の人はなんかこう、大事なものフォルダに友人、家族、恋人…みたいに振り分けてるんです。私は、大事なものフォルダだけでその中を細分化してないんだと思います。

 

もう死んでしまいましたが犬を飼ってました。とても可愛がっていたし、彼女が死んだときは一日中泣きました。母がこの子は家族だと言って花を供えているの手伝ったりもしています。でも、私は犬のことを家族、と表現することに違和感を覚えるのです。何言ってるかわからなくなってきましたね…なんでしょうか。

まあ、つまりは大事なら大事でそれ以上○○だからと分類出来ないってことです。

 

大事なもの、慈しんでますか?